医師会出題国語問題「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつ たるみたれども」

友人が受験した医師会看護学校では、国語の出題で100文字以内で「冬が好きか嫌い」という問題、漢字では、「滑らか」と「潤滑油」という文字が出題されたのこと。そして今回は、たらちねの母に対して、つながる歌を選ぶというもの。友人は勘で回答し正解でした。

たらちねの母といえば斎藤茂吉じゃないの?(私以外私じゃないの?)

「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつ たるみたれども」

たらちねの母に続くものを選ばなければならず最初は、枕詞で勉強した斎藤茂吉「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり」の歌を思い出したとのこと。

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しかし垂乳根に対して消去法で青蚊帳しか残っていなかったため「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつ たるみたれども」を選んだそうです。意味(解釈)は、母親が釣った青い蚊帳(新しい蚊帳)があるから今夜はゆっくりすがすがしく眠れそうだ母の乳のように蚊帳も垂れていたけれど・・というもの。たるんだ蚊帳と垂れた乳の母をかけているようです。歌ったのは、明治時代の家人長塚節(ながつか たかし)という人物。

斎藤茂吉が師事した長塚節の「たらちねの母」

長塚節(ながつか たかし)が歌った「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつ たるみたれども」長塚節を師事していたのが斎藤茂吉です。斎藤茂吉は、「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり」を歌っています。斎藤茂吉や長塚節を師事していたのは佐藤佐太郎という人物です。

斎藤茂吉の弟子佐藤佐太郎の「たらちねの母」

佐藤佐太郎は、昭和51年、昭和52年、昭和53年と宮中歌会始の選者に選ばれます。宮中歌会始は、国民からも歌を集め著名な歌人が選出していくことは知られていますが選者の代表となると歌人自身も歌を詠むことができます。佐藤佐太郎は、昭和51年から選ばれていますが昭和53年のお題が「母」だった年に以下の歌を詠まれました。

「左ききなりしことなど懐しくしてたらちねの母しおもほゆ」

師事していた長塚節も斎藤茂吉も代表的な歌に「垂乳根」があるので弟子としては「母」キタ (゚∀゚) !!という感じだったのではないでしょうか?笑。斎藤茂吉の名前は教科書や便覧の索引にも載っていることが多いのですが長塚節や佐藤佐太郎も中学や高校の授業でも一般的ではありません。たらちね・・のという枕詞で母親のことを歌っています。意味や解釈を想像しながら回答していくと正解できそうです。

斎藤茂吉といえば中学校にあがるまで寝小便をし続けたようです。おねしょで濡れた布団を干してから学校に行ったよう茂吉ですが「死にたまふ母」以外に「母」を題材にした歌がいくつか残されています。夜尿症は、斎藤茂吉の息子の斎藤茂太や孫にも遺伝したそうです。寝小便をしてしまう自分と叱ったのか叱られなかったの母親と息子の密な関係性も数多くの「母」を題材にした歌から想像することができます。

  1. 「垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつ たるみたれども」
  2. 「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり」
  3. 「左ききなりしことなど懐しくしてたらちねの母しおもほゆ」

「たらちねの母-別れてまこと我旅の仮廬(かりほ)に安く寝むかも」

万葉集の中にも「たらちねの母」を歌ったものがあります。

  1. 「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか」
  2. 「たらちねの 母に知らえず我が持てる 心はよしゑ 君がまにまに」

「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか」は、ある歌「紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ」に対する返事の歌です。シソの紫色を染めるには椿の灰汁(あく)が必要です。灰汁と紫は男と女をあらわし直接的でなくても男女交わると解釈できるナンパしている歌です。「ねーねーそこの子名前なんていうの?」みたいな?

うら若き女性と知り合ったばかりの男性が「あなたのお名前は」と聞かれたものの娘は「道端で出会ったばかりのだれとも名前も知らない人が私に名前を名乗れと仰せになっても母に私が呼ばれている呼び名を申すわけに行きません」と返事を返しています。だから男性からナンパされたけれど娘さんは、きっぱり断ったと解釈できます。男性に返事を返した娘の母親はもう乳房が垂れた中年と思われます。一方娘さんは1番キレイな年頃なのでしょう。むねの垂れた母がいる娘さんということになります。

しかし反対に「たらちねの母に知らえず我が持てる 心はよしゑ 君がまにまに」という歌があります。母親に知られないように私の気持ちはあなたの心に添いたいと決まっています。」という返事もあります。昔も今も年頃の娘を心配する母親の気持ちや息子を愛おしむ母親の思いは、変わらないものなのでしょうね。

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